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富士山強力を後世に伝えよう!

 

2004年10月1日、富士山頂で72年間にわたって気象観測を続けてきた富士山測候所が無人化されました。世界最大級の気象レーダーで日本本土をうかがう台風の監視や天気予報の正確性向上など、日本人の生活に与えたその貢献度は計り知れないものだったと思います。

その陰には、冬は氷点下30度、時には風速40bもの嵐が襲うという過酷な自然環境と戦いながら観測を続けてきた勤務員や、それを支えた人々が居たことは忘れてはならないことです。その中でも、人力で山頂まで生活物資を届け、決してスポットライトを浴びることなく、富士山測候所を支える生命線として黙々と活動していた強力という存在を後世に語り継ぐことは富士山人の使命であると勝手に思ってます。

[強力映画を作りたいな〜]

殉職者を出しながらも凍て付く氷の山を、一度に30kgの荷物を背負いながら登山した超人的な強力を通し、富士山での気象観測の歴史、携わった人々の歴史を後世に残すためにも映画として記録に残すことができたなればな〜と富士山人は考えます。それが、また、1994年に240万人もの署名を集めながら見送られている「富士山を世界遺産へ」の願いを実現するための一躍を担うものであったらと思います。

明治28年、野中到・千代子夫妻が先鞭をつけた富士山山頂での通年の気象観測は、昭和5年、中央気象台(現気象庁)技師、佐藤順一によって成功し、昭和7年から常駐の有人観測がスタートしました。太平洋戦争中、測候所は米軍機2機による銃撃を受け負傷者を出しながらも、現在まで一日も欠かすことなく観測を続けています。その陰には、滑落の危険と常に隣り合わせである富士山を、命懸けで登り、測候所の生活をささえた強力の存在無くしては決して実現できないことだったと思います。

[代表1 佐野篤の強力に対する思い!]

富士山人代表1の佐野篤は小学校2年生(7歳)の時、両親・兄弟と初めて富士登山をしたそうです。その登山後、偶然読んだ「郷土の歴史」に強力の記事があったそうです。強力の活躍を知った代表は、「自分の体だけでも大変なのに、30kgの荷物!しかも冬山!」すっ、凄い!と大変感動したそうです。それから彼のヒーローは仮面ライダーでも、ウルトラマンでもなく、「強力」になったそうです。彼は、今も強力に憧れ、せっせと体力作りに励んでいるそうです。そしていつかは冬の富士山頂を目指したいと言ってます。(広報談)

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