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富士山測候所の歴史
1895年(明治28年) 野中至(1967〜1955、高山気象観測の先駆者)が剣ケ峰に私設の木造観測小屋(野中観測所)を建てたのが最初。明治28年10月1日から翌年4・5月の予定で越年観測で入ったが、劣悪な観測環境の中、重度の高山病に全身の浮腫が悪化、又、寒気、栄養失調で命の危険にさらされながらも下山することよりも観測を続けることを熱望した。12月21日に救援隊の説得により下山。
1927年(昭和2年) 気象台技師佐藤順一が篤志家の援助を受け、私設の木造観測所(富士気候観測所)を建てた。
1932年7月1日(昭和7年) 国立の観測所(中央気象台臨時富士山頂観測所)が東賽河原に建設され、7月1日より通年観測に入った。
1935年6月(昭和10年) 政府事業として山頂観測所の維持が認められる。
1936年(昭和11年) 観測所が現在の剣ケ峰に移る。中央気象台富士山頂観測所の名称が与えられる。
1945年7月30日(昭和20年) 富士山の西側から米軍機2機により銃撃を受ける。庁舎が受けた弾痕は百十カ所に上り、22枚のガラスが破損。強力の代わりに山頂に荷上げに来ていた永井亨が壊れたコンクリートの破片が当たり顔を負傷。百葉箱は穴だらけになったが、温度計や湿度計は無地で欠測は免れる。
1949年6月(昭和24年) 富士山観測所と改称。
1950年6月1日(昭和25年) 富士山測候所へ昇格。三島測候所から独立。
1958年9月(昭和33年) 狩野川台風が伊豆半島直撃
1959年9月(昭和34年) 伊勢湾台風が上陸。2年続けて大災害をもたらし、レーダーの必要性が議論される。
1965年3月(昭和40年) 気象レーダードーム完成、運用開始。
1967年(昭和42年) 測候所職員の冬期交代登山の安全を図るため雪上車導入。雪上車は5合5尺までしか登れないが負担を軽減するには大きく役立った。
1973年(昭和48年) 測候所庁舎の改築。山頂での生活環境は以前に比べ格段に向上した。
1978年(昭和53年) 半導体技術の進歩に合わせ、レーダーを更新。
1982年(昭和57年10月) 富士山測候所開設50年を記念して殉難碑が除幕。測候所の殉職者4名の名が刻まれている。
1999年11月(平成11年) 長野、静岡レーダーの運用開始により、富士山レーダー廃止。
2004年10月1日(平成16年) 職員の常駐を終了、測候所を無人化